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​オーナーシェフ

​Masami Sato

「心に響くスペインの味とあなたの物語」

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私は、別段、料理のこだわりを語るつもりはありません。ただ当店の料理を通じて、人生の豊かさや人とのつながりを感じていただきたいと願っています。

 

私自身、長い年月スペインの地に魅せられ、その情熱と風土に触れるたびに、人生の深さや大切なことを学んできました。料理は単なる食事ではなく、人生の一部。喜びや悩み、感謝や挑戦を、味わいながら感じてほしいのです。

 

人生は、誰もが自分だけの物語を紡ぐ旅です。その中で出会う人や場所、味わいが、きっとあなたの人生を豊かに彩るはずです。

 

どうぞ、あなたの大切な時間を、私たちと一緒に過ごしてください。笑顔と感謝に包まれるひとときを、心よりお待ちしています。あなたの人生に、素敵な味と出会いがありますように。

マドリード
マドリード

Carrera profesional
シェフの経歴

私の歩み:情熱と挑戦の軌跡

私の料理人としての道のりは、1989年(平成元年)に静岡県浜松市のホテルベーカリー部門で製パンと西洋菓子の基礎を学んだことから始まりました。4年間、パンと洋菓子の奥深さに触れ、この世界に魅了されていきました。

その後、愛知県の人気イタリアンレストランへ。新規オープンスタッフとして入店し、オープンからクローズまで行列が絶えない店で、2年間イタリア料理とピッツァ、そして店長職を経験し、料理の技術だけでなく、店舗運営のノウハウも習得しました。

夢への飛躍:スペインでの挑戦

1994年、長年の夢だったスペイン行きを決意します。単身マドリッドへ渡り、二つ星レストラン「restaurante cabo mayor」で、ハビエル・シエラ氏、ミゲル・ヒメネス氏、ペドロ・ラルンベ氏という素晴らしい師たちに出会いました。彼らからスペイン料理の真髄を徹底的に学び、特にマエストロであるハビエル氏の側で、セカンドシェフとして3年間研鑽を積みました。

見ず知らずの外国人である私が、スペインで働き、スペイン人以上に仕事で一目置かれる存在になるためには、並々ならぬ努力が必要でした。現地の人々の2倍、3倍の働きでは到底追いつけない。4倍、5倍のスピードで働き、頭の中もフル回転で思考する覚悟がなければ、すぐに打ち砕かれてしまう。その3年間は、まさに日本の12年分にも値するような濃密な時間だったと自負しています。

睡眠時間は毎日長くても2時間、3日くらい寝ずに働くことも当たり前でしたが、不思議と辛いと感じることはありませんでした。ただただ楽しくて、夢中で取り組んでいました。「人間、覚悟を決めれば想像もしないような壁を何度でも打ち壊せる」この時に得た確信は、今の私の原動力となっています。三つ星レストラン「Zalacain」を含め、バカンスを利用してスペイン国内はもちろん、フランスやスイスでも積極的に学びを深めました。

困難を乗り越え、新たな道へ

しかし、1998年に人生を大きく揺るがす出来事が起こります。自分ではどうすることもできない事件に遭遇し、夢半ばで意気消沈。深く悩み、苦しんだ末に、やむなく帰国を決意しました。

帰国後、フランス料理の必要性を強く感じ、静岡県浜松市のフレンチレストランでその真髄を学びました。ここで料理人としてだけでなく、サービスマンとしての多くの知識も身につけることができました。

30歳を迎える頃、そして母が大きな交通事故に遭ったことを機に、これまでの自由奔放な生き方を振り返り、長野県の実家へ戻ることを決意しました。

軽井沢のホテルでシェフとして10年間勤務した後、2012年春、ついに新たなスタートを切ります。長年の経験と情熱を注ぎ込み、スペイン料理店のオーナーシェフとして独立しました。

そして2024年7月、

スペイン本国政府より**「スペイン政府公認スペイン料理レストラン」**として認定されるという、大変光栄な選出をいただくことができました。

野菜スタンド

Perfil de la empresa
​エステーリャの歩み

◉2009年〜2012年にかけて長野県カルチャーセンター・長野都市ガス等にて、主婦の方々向けにスペイン料理教室・佐藤シェフの砂糖を使わないスイーツ教室等を開催。通算300名以上の生徒様に指導、現在は不定期開催。(募集中)

​◉2011年 Youtubeにて料理教室の様子やスペイン料理レシピの公開開始(元祖料理系YouTuber)

◉2012年4月 スペイン料理専門店エステーリャOPEN

◉2012年9月 軽井沢別荘専門ケータリング出張サービスを開始。個人別荘専門出張料理教室開始。

◉2013年4月 全国紙「旅サライ」にて「わざわざ行きたい地方のレストラン」掲載

◉2013年9月からabn長野放送テレビにて「炎de料理ショー」9回出演し家庭でできる簡単なスペイン料理を27品紹介

◉2013年10月 店舗第一期改装工事

◉2014年11月 株式会社化 UFIJ Co.,Ltdに改組

◉2014年11月から飲食店コンサルタント事業開始。埼玉・福岡・大分・東京・長野等

◉2015年2月から化学調味料・保存料・着色料を使わないスペイン料理専門の通販事業を開始

◉2015年4月 全国紙「東京カレンダー」誘いたい店に掲載

◉2015年4月からBIGパーティーパエリアの全国出張サービスを開始(同年5月21日に弊社の取組みがヤフーニュースにて掲載される)

◉2015年12月 大阪府泉佐野市商工会議所から依頼があり「個人店舗オーナーのための客数と利益を伸ばす方法」と題し、スライドを使用して、3時間あまり個人店舗経営者に向けてマーケティング集中講義

◉2016年10月からスペイン料理通販を開始(年間およそ6,000食を納品、日本全国に配送)※2024年時点で54,000食突破

◉2021年 第8期決算にて最高売上最高利益を達成​

◉2014年 法人化以降も毎年継続して増益黒字化継続中

◉2022年2月 店舗第二期改装工事

◉2023年2月 店舗第三期改装工事

◉2024年7月 スペイン本国政府公認スペイン料理店に選出

◉2024年10月 オーナーシェフ佐藤がスペイン本国公認スペインワインスペシャリストとして合格認定(全て英語での授業と試験)

現在に至る

ウニヴェルソ フシオン インフィニート ジャパン株式会社

代表取締役 佐藤雅己

事業内容:スペイン料理専門レストランの経営、通販ショップ運営、企業商品レシピ開発販売、スペイン料理伝道士、個人飲食店集客コンサルタント、セールスコピーライター、チラシ集客コンサルタント

​主な資格:スペイン本国政府公認スペインワインスペシャリスト・調理師・食育指導士・野菜ソムリエ​

​趣味:カメラ&ビデオワーク、ウイスキー、アウトドア、スキューバダイビング、ウインドサーフィン、読書、国内・海外旅行、食を選ぶ(植物性油脂・小麦粉・砂糖・乳製品を極力摂取しない食事)、掃除、ゴミ拾い

アルハンブラ
ダウンタウン
野菜スタンド

Mis pensamientos
オーナーシェフ佐藤の想い

拝啓

この度、私がスペイン料理を生業とするに至った、ささやかながらも大切な物語をお話しさせていただきます。特別なことではない、ごく一人の人間の歩みですが、もしよろしければ、ほんの2、3分ほどお付き合いいただけたら幸いです。最後までお読みいただけると、心から嬉しく思います。

私の歩み:心の声が導いた道

1991年、21歳を迎えた頃、私は自身の将来について深く思い悩んでいました。ホテルで製パンと洋菓子を4年間学び、その後イタリア料理の世界へ。日々真剣に仕事と向き合い、様々なことを吸収し、新しい挑戦にも意欲的に取り組んでいました。それは確かに楽しい時間ではありましたが、心の奥底では常に「何かが違う」という感覚が拭えませんでした。正直なところ、100%の気持ちを込めることができず、どこか自分に嘘をついて生きているような苦しさを抱えていたのです。

「人生をかけて本当にやりたい仕事は何だろう?」「自分は何のために生まれてきたのか?」そう自問自答を繰り返す日々でした。もしかしたら、「そこまで深く考えなくても、ほどほどに働けばいいのでは?」と思われるかもしれません。しかし、仕事に費やす時間は一日の大半を占めます。私は、中途半端な生き方をすることが心から嫌で、その葛藤に苦しんでいたのです。

実はこの頃、私の人生の方向性を大きく変えることになる、最初の重要な出会いがありました。19歳からの2年間です。詳しい経緯はここでは割愛させていただきますが、この出会いがなければ、私が一人でスペインへ向かうことは決してなかったでしょう。

雷に打たれたような出会い

話を少し戻します。イタリア料理店で働き始めて1年が経った頃、転機が訪れました。いつものように仕事で疲れ果てて家に帰り、電気もつけずに静まり返った暗い部屋で眠りに落ちていました。ふと目が覚め、無意識のうちにテレビのスイッチを入れると、まるで夢を見ているかのように画面をぼんやりと眺めていました。そこには、大勢の料理人が活気あふれる厨房で、今まで見たこともないような料理を作り出す光景が映し出されていました。

「えっ?これは…? なんて不思議な感覚だろう?」

その瞬間、まるで雷に打たれたかのような衝撃が全身を貫き、私は思わず立ち上がっていました。ずっと、ずっと思い悩み続けていたことが一瞬にして解決した瞬間だったのです。

「これだ! 俺がやりたかったことはこれだ!」「俺はこの仕事に一生を捧げる!」と、心から決意した瞬間でした。偶然にも、テレビに映っていたのがスペイン料理だったのです。なぜそう感じたのか、具体的な理由は今でも説明できません。ただ、いても立ってもいられないほどの興奮が私を包み込み、スペインへ行く覚悟を決めると、その瞬間からの私の行動は驚くほど速かったのです。

お金も、コネも、言葉も何もない状況でしたが、「2年以内に必ずスペインで働く!」と固く決意しました。翌日には車を売却し、スペイン語の辞書やNHKのスペイン語会話のテキスト、ガイドブック、スーツケースなど、出発に必要なものをすぐに揃え、いつでも飛び立てる準備を整えました。

当時は携帯電話もメールもパソコンもなかった時代です。分厚い電話帳を片手に、日本中の「スペイン」と名のつくあらゆる場所に、数百通もの手書きの手紙を何度も送りました。毎日何時間も独学でスペイン語を学び、体力作りや健康管理・貯金もちゃんとしながら、ひたすらチャンスを待ち続けました。

親や周りの友人、職場の同僚や上司、先輩たちは、「そんな夢みたいな話、叶うわけないだろう?」と、まるで嘲笑うかのように口々に言いました。しかし、何を言われても構いませんでした。心の中では「君たちにはできないかもしれないけど、俺にはできる」と強く思っていました。まだ日本にいるのに、私の脳はすでにスペインのレストランで働いている自分をリアルに感じていたのです。そのイメージは、仕事中にふと錯覚に陥るほどの鮮明さで、何度も頭の中に描かれていました。

奇跡の訪れ

それでも、一向に音沙汰がないまま、行動を起こしてから一年が経とうとしていた最後の日に、ついに一本の電話が鳴りました。この一年間、不思議なことに迷いや悩み、諦め、恐怖といった感情は微塵もありませんでした。

留守番電話には、「〇〇と申します。あなたからの手紙を読みました…」というメッセージが残されていました。

私はすぐに折り返しの電話をかけ、感謝の言葉を伝えました。このチャンスを逃すまいと、半ば強引にS様との「翌日の面会」を取り付け、大阪へ会いに行きました。

レストランに到着し、S様に改めて深くお礼を述べ、手紙に書いた思いをさらに詳しくお伝えしました。S様は、私がスペインで働くことになるマドリッドのレストランで14年間勤務され、大阪に支店を立ち上げるために帰国された方でした。まさに、私の夢を叶える上で最も可能性を秘めた方との出会いでした。

お会いした瞬間、スペインへ行けるタイミングは今しかないと直感しました。食事をしている周囲の大勢の人達の視線も気にせず、私は思わずその場で土下座をして、必死の思いを伝えました。

「Sさん、お願いです。私をスペインにあるあのレストランで働かせてください! そして、今すぐこの場でスペインに電話をして、チケットの手配をお願いします! どうか、お願いします。これが最後のチャンスなんです!」

「今すぐこの場で、スペインに電話してください! 決定するまで、私はここを微塵も動きません!」 これまでに聞いたこともないような、あまりに強引なやり方で、私は必死に自分の思いを押し通しました。

今振り返っても、あの時は考える間もなく自分の中から溢れ出てきた言葉で、止めることができませんでした。周りには食事中のお客様が大勢いらっしゃったので、きっと皆さんも相当驚かれたことと思います。

「わ、わかった、わかったから、今、電話するから、椅子に座りなさい。」

それから30分ほど、S様は本店の社長とスペイン語で話されていました。何を話しているのかわからず、私はやきもきしながら待っていました。

すると、S様は笑顔でこう言いました。

「君はすごいな! 社長からOKが出たぞ! 奇跡だな、頑張りなさい。」

スペインの社長は「面白いやつじゃないか! すぐにこっちによこせ! チケットはもう手配した」と仰っていたそうです。

私は飛び上がって喜びました。 再度深くお礼と感謝を述べ、愛知に戻りました。

なぜだか分かりませんが、覚悟を決めて一切の迷いが消え去った時、私は本当に、こうなって当たり前だと思っていました。

そして、チャンスを掴んだ私は当時の仕事を辞め、愛知の借家を出て一旦実家の長野へ引っ越し、あらゆる手続きを済ませました。大阪へ行ったその日から、なんとわずか1週間後には、私はスペインで働いていたのです。そして、最高のレストランで充実した3年間を過ごすことになります。

夢の舞台で

約50人近くの見習い料理人(全員給料なし)の中でも、経験値ほぼゼロからのスタート。最下位からの始まりでした。

しかし、夢が叶った私は、調理場にいるだけで天にも昇るような気持ちでした。周りが辛いと感じるような仕事も、私にとっては楽しくて仕方がない。働いているというよりも、遊びに夢中な子供のようでした。あまりにも楽しくて、気がつけば一日22時間、休みなし、休憩なしで働き続けていました。そのレストランは24時間どこかしらのセクションが常に稼働していたので、お願いして働かせてもらっていたのです。

「日本から頭の狂った奴が来た」

そんな噂はすぐに広まりました。

見習いはまかないはありますが、基本的に給料はもらえません(チップはもらえます)。相当な覚悟がなければ長続きせず、先が見えにくいことから、残念ながら薬物に手を出して脱落していく仲間もたくさん見てきました。

私は階段を一気に駆け上がるように、好き嫌いなくあらゆる仕事を貪欲に吸収していきました。

1994年の10月にスペインへ渡り、年明けの2月。数百人単位のケータリングがいくつも重なり、人手が足りなくなりました。マエストロに呼ばれた私は、料理もスペイン語もまだまだ未熟な状態でしたが、こう尋ねられました。

「マサミさん! 600人のケータリングがあるんだけど、お前一人で行けるか?」

私は「もちろん大丈夫です。私にやらせてください!」と間髪入れずに返答しました。

それを聞いていた同僚たちは、前代未聞のシェフの無茶ぶりに目を見開いていました。「来たばかりの日本人、マサミが一人で? 600人を?」「本当に?」「シェフ、大丈夫ですか?」と。

シェフはこう言いました。「大丈夫、マサミはできるって言っているだろう!」と。

最終的には、私が司令塔となり、ブルガリア人のボブを助手として、そして20名以上のカマレーロ(ウェイター)を引き連れて、私の指揮のもと料理を始めとする全ての段取りを何とかこなし、無事に成功させてレストランに戻ることができました。

今思えば、私にとってスペインでの最初で最大のピンチであり、同時に最大のチャンスでした。シェフは私を試したのでしょう。その日から、私を見る周りの目が一変しました。オーナーにも呼ばれ、「マサミにだけ毎月給料を出すから、みんなには黙っていなさい」と言われ、その月から充分すぎる給料をいただくことになったのです。さらに、スペイン語の個人教師をつけていただき、無料でフランス料理の学校にも通わせてもらえるようになり、レストランの最上階にあるマンションの大きな部屋にも無料で一人で住まわせてもらえるまでになりました。

半年も経たないうちに、私はシェフの右腕、セカンドシェフにまで昇りつめました。もちろん気持ちが浮かれることはなく、さらに切磋琢磨し、スペイン人にスペイン料理を教えられるまでの立場になったのです。しかし、そんな順調に進んでいた道のりも、3年目に差し掛かる頃、誰も予想だにしなかった試練が私を待ち受けていました。

試練と恩師の教え

「私はある事件で、手錠をかけられ、牢屋の中に入りました。」(※ここでは詳細を伏せさせていただきます)

ちょうどスペイン銀行頭取のご尽力で、労働許可証の手続きを進めている最中の出来事でした。しかし、私がどれほど望んでも、スペインに滞在することが絶対にできない状況に陥ってしまったのです。

志半ば、まさにこれからが本当の意味でのスタートだという時期に、私の夢と心は完全に真っ二つに折れてしまいました。まさか、このような形で帰国することになるとは、夢にも思っていませんでした。シェフであるマエストロや仲間たちに別れを告げ、数年後に必ず戻ってくることを誓い、レストランを後にしました。

帰りの飛行機の中では、人生であれほど泣いたことはないというほど、大粒の涙を流しながら、しぶしぶ日本へ帰国しました。

スペインでは、人生で唯一無二の恩師となるマエストロに出会い、体が震え、涙が止まらないほどの経験をたくさんしました。数々の出会い、そして授けていただいた皆の想いを胸に、27歳で帰国しました。

帰国する際、マエストロがこんな言葉を私に伝えてくれました。「私は君のために様々な環境を用意し、教えてきたけれど、その時に君が感じた想いや学んだことは、私に返すのではなく、君がこれから出会う人たちに返していくんだぞ。そして、日本でちゃんとしたスペイン料理を広めて有名になってほしい。」と仰っていたのです。

その時、私はボロボロと泣きながらただただ頷くことしかできませんでしたが、心の中では、「感謝の気持ちを常に忘れずに、人と出会い、ご縁があった方々と共にスペイン料理を広めていこう」と固く決意したのです。

スペイン料理が、イタリア料理のように日本の各家庭の食卓にまで浸透するよう広めること。それが、私の恩師や出会った方々への恩返しであり、私の使命です。そのために私は生まれてきたのだと、そう言い切れるのが、私が「スペイン料理」に携わる唯一の理由であり、揺るぎない想いです。

そして、私のスペイン料理を通して、自分と関わるすべての人を幸せにしたい。そんな気持ちで日々を生きています。そのきっかけとなるのが、このスペイン料理店エステーリャなのです。

長文にもかかわらず、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。あなたにこうして読んでいただけたことに、心より感謝申し上げます。

自分の夢に挑戦する人は、決して多くありませんよね。しかし、そもそも「夢」とは何でしょうか? 私なりの答えは、たとえ自分以外のすべての人に猛反対されたり、馬鹿にされたり、誹謗中傷されたとしても、必ず成し遂げたい、必ず辿り着きたいと強く願う先にある、自分にしか見えない世界のことです。必要なのは、「勇気」だけ。今生の人生は、たった一度きりですから。

追伸: 実はもう一つ、不思議な話があります。スペインに行くきっかけとなった「あの時、テレビに出ていたシェフ」。なんと、私が働くことになったレストランのシェフであり、生涯尊敬することになるマエストロだったのです。それは、シェフと話している時に初めて分かったことで、シェフも私も同僚も、皆がとても驚いたのは言うまでもありません。

ソウルメイトというものがあるのかな、なんて思ってしまいますね(笑)。

【お客様の声:メディア掲載実績】▶︎

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